2014-04-02 第186回国会 衆議院 外務委員会 第8号
しかし、捕鯨に関してだけは本当に全然論理的でない主張をして、ここだけは我々日本と絶対相入れない分野でありましたけれども、我々が何か野蛮人みたいな言われ方をされました、捕鯨の話をすると。いろいろしゃべってみると、哺乳類と魚や植物とは違うと言うんですよ。私はそこは怒ったんですよ。
しかし、捕鯨に関してだけは本当に全然論理的でない主張をして、ここだけは我々日本と絶対相入れない分野でありましたけれども、我々が何か野蛮人みたいな言われ方をされました、捕鯨の話をすると。いろいろしゃべってみると、哺乳類と魚や植物とは違うと言うんですよ。私はそこは怒ったんですよ。
私ら学生のころは、おまえら魚を生で食うのかと、大体もうほとんど野蛮人みたいな言い方をされて、甚だ不愉快な思いをよくさせられたんですが、最近はもうみんな、フランス人が日本に来て、すしはやはりシャリがうまいと言うものですから、僕はシャコの間違いだと思って話したらなかなか通じないんで、シャリというのは飯のことだというのがわかって、フランス語っぽい音がするものですから、何となくそういうぐあい、それぐらいになった
いずれにしても、フセインは大変な野蛮人だと、そんな裁判なんか面倒くさいから簡単にやって、もうすぐ死刑にしちまえと、そういう気持ち、分からぬわけでもない。彼が捕まったときに、もうロンドンやニューヨークでは大勢の人たちが街路に出てきて、肩を組んで、ワッショイ、ワッショイ、悪いやつを捕まえた、すぐ死刑にしろ、万歳、万歳やっていました。
このごろ、少年犯罪を見ましても、少年というのはなかなか残虐なところがあるということが証明されているわけですが、野蛮人から文明人になる過程みたいなものがあるわけでございまして、その中で時実先生がおっしゃったのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
ああ、原爆使え使え、相手はどうせ東洋の野蛮人だと。そんな発想で使われたんですね。そして、彼らの考える正義が実現して世界に平和が来たと、こういうこと。 それからもう一つ、イラクの問題で、今、アメリカのさる有力者の言として、日本占領のことを、参考になるんだと、こう談話が大きく新聞にも出ておりまして、ごらんになったでしょう。
しかも、初めてアメリカ映画としてベトコンを異常な正に野蛮人として描いていないということで、これはクランクインしたら是非見てみたいと思っています。 私は、実は一昨晩、久々に明石康元国連事務次長とお目に掛かりまして、国連時代から大変お世話になっている明石さんと二人で二時間半ぐらいいろんな話をしました。
目には目をという野蛮人にとっての正義、中世の暗黒時代の人間の思考を私たちは過去千年からかかって克服してきたことを人類は示すことができるのです。 神や創世について違う考え方を持っている人々を尊敬することを学ぶために新たな十字軍は不要です。
そして、オーストリアが生意気なと言って、当時ゲルマン民族から見たらスラブなんというのは本当の野蛮人ですからね、裁判ではろくなものをやっていないに違いないと、こう思って攻め込んでいったら、向こうも立ち上がって、しかし、第一次大戦のさなかにきちっと裁判しているんですよ、セルビアは。そうして、テロリスト八名中三名を死刑にしているんですよ。
自由市場だといいましても、野蛮人が勝手に物々交換をしておるのと違うのですね、市場というのは。これは法律によってつくられた市場でありますから、その仕組みそのものにもし問題があるとすれば、私は、それを直していくのが当たり前だと思う。 現在、連立三党で、証券市場活性化についての、連日大変な検討をしております。
こうした面から、各国々の中で、特にアメリカを中心にして、動物愛護、哺乳動物を捕獲をする日本人は野蛮人だというぐあいで、流し網の規制も、実はイルカが入るとかオットセイが入るとか、そういうものによって日本はこの規制を受けようとしているわけでしょう。あれは入るんじゃなくてそういう仕掛けになっているんだけれども、ほとんど日本は漁業秩序を守ってやっているのですよ。なのに、そういう仕打ちを受ける。
それが野蛮人だということは、私どもからすると非常に人種差別的な発言ではないかという憤りを強く覚えるわけであります。また、自国の領海あるいは二百海里水域で、自国の資源である鯨をとることについてまで云々されるのはどうも納得できないというのが国民の大多数の感覚ではないかと私は思うのです。
クジラを食うのは野蛮人、牛肉食うのは文化人。牛肉食らえば知恵いきいき、力もりもり。二十一世紀にはノーベル賞学者が続出、オリンピックで金メダルが倍増すること確実と思え。」、これは日経新聞なんですよ。だれが言っていると言うから御披露しました。
アメリカにおいては鯨は高級な動物でございまして、鯨を食べる人間は野蛮人だ、その他いろいろな例がある、そういう感覚のもとに実は話し合いに入っておるというのが現況でございます。 それともう一つは、日米漁業関係下において、我が省としては二つの点に特にポイントを置いて向こうと折衝しております。
もう直ちにきょう午後から始めるわけですが、国際経済社会の外交に、ある日突然野蛮人が一人加わったということにはなるべくならないように、日本の名誉のために一定限度のマナーは守りたいと思っております。
だから、乗っている車は六百万、七百万の車を若い諸君がおやじをだまくらかしてはでに使っているけれども、やっていることは野蛮人のやっていることで、それこそ車社会の中で鍛練された近代人からすると、本当に危ない凶器が走っているという感じじゃないでしょうか。 ここ一、二週間前の新聞にことしの死亡者数が出ました。もう昨年度のやつを超えるというのでしょう。
そういう意味で、これを見方によれば野蛮人ほどたばこを多く吸うんだというのが外国の通弊でありまして――私誓うておるのではありませんよ。
それから、たとえば、吉野の野蛮人ですか、野蛮人を征服したというふうな隼人舞とか国栖舞とか、そんなものはどういうふうなことなんだか、一つか二つぐらいでもいいから聞かしてもらわないと……。それから、本来的にはこれは新穀のお祭りでしょう。その辺のところをもう一遍ひとつ。
とにかく世界でいけば相当まあ後進国、昔で言うなら野蛮人であったと思うんです。そのときからこれだけの、わずか百年の間にこれだけのいわゆる物をつくったというのは、確かに私は学校の、いわゆる文部省の力というのはすばらしい威力を発揮しただろうと思うんです。これは私は認めます。しかしながら、いま時代は変わっております。舞台は変わって、われわれは知ることより教える立場になっているのが現在でございます。
これでは「むつ」が走り出す前に、森山長官が自分のPR資料を信じて、これを信じないやつは野蛮人だというようなことを言われたのですけれども、その姿勢が繰り返してやっぱり出されているのだと言わなければならぬのではなかろうか。
一八二〇年ごろだったと思いますが、英国が中国へ入り——中国というのは中華、おれは真ん中の華だ、北の方にいるのは北狄という野蛮人で、西の方にいるのは西戎という野蛮人、東の方には東夷という日本などの野蛮人がいる、南の方には南蛮という野蛮人がいて、周り全部野蛮人に取り囲まれて、自分のところは真ん中の華だ、中華と申しております。いまでも中華人民共和国、真ん中の華だという。